平和の表現は難しいと先日。
オレなりに噛み砕くと、「幸せ」の集合体が「平和」なのでは?と。
しかし資本主義のご時世、「幸せ」の定義さえ曖昧。
個々による幸せの到達への大きさ、スピードが全く違う。
昨晩のNHKスペシャル、新富裕層の実態紹介。
冒頭から高級スポーツカー。
財を得た青年実業家(株売買で)?
自分で得た利益を働かない人のために税金を払いたくない。
ならば税制優遇される国に移住だ。
移住してもPCだけで仕事が出来る。
仕事場はどこでもいいのだ。
彼らの行動は何も間違っていない。
金儲けて、家買って、車買って、余暇を楽しみ、究極の幸せである。
ただしこの仕組みを生み出したのが「国政」であったのがまずかった。
オレにとって誰かと議論したいちょうどいい被写体だ。
みなさん、小、中、高、大学と画一した教育を受けてきたはず。
道徳、社会、政治、経済も。
どこから人と違うようになったのか。
短期間で巨額の財を成し、まだ足りないとさらに上を目指す。
急に膨れれば、急に萎む。いつか醜い妊娠線が現れるはず。
とても羨ましく思う反面、彼らの本能の喜びはあるの?と。
バイク買って良かったと感謝される無限大の喜びにはかなわないだろう。
単なる皮肉のつぶやき。